東京大学史料編纂所

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醍醐寺史料調査

 前年に引続き本年も、八月十四日から十八日まで、京都市伏見区醍醐寺に於て同寺所蔵の文書記録聖教の調査撮影を行った。本年は例年行っている一連番号を附した木箱入りの史料の他に、特に義演准后日記について調査し、その紙背文書も併せて撮影したので、以下主として同日記につき報告する。
 義演准后日記は、醍醐寺第八十代座主である三宝院門跡義演(一五五八〜一六二六)の日記である。記載の期間は、文禄五(一五九六)年正月より義演の没年である寛永三年まで三十一年問にわたり、その内若干の不記載期間(慶長十八年の八月十四日以降、同十九年の九月十七日以降)は存するものの、ほぽ完全に記載されている。
 原本は全六十二冊で、一年分を一冊内至三冊に書いている。(本所架蔵の謄写本は二十六冊に仕立てられており、その最終冊は別記である有馬湯治記である。)
 原本の形状は、多少の大小があるがほぼ縦三一cm横二四cmの矩形で、紙質は、書状の紙背を用いているので一定しないが殆んど楮系の紙である。又装釘は袋綴で、右端二ヶ所を紙捻で大和綴にしている。一冊の丁数は最大五十七丁、最小十丁で、大体十数丁から二十数丁である。表紙一葉を附し、「日記文禄五丙申」「日記下慶長二丁酉九 十 十一 十二」などと記す。
 紙背文書は、当時寺外より、義演あるいは醍醐寺の役僧、門跡の坊官等に充てて送られた書状が殆んどであり、従って日記本文と関連するものも多く見うけられる。(但し四周を切り縮められ文書としては不完全なものが多く存する。)初期のものの内差出者として比較的目につく人物をあげると、京都所司代前田玄以、その奉行尾池清左衛門、大仏上人木食応其などがあり、それらの文書は主として醍醐寺諸堂舎の再興造営に関するものである。
 又、義演准后日記の別記にあたるものを調査撮影した。
 1、大地震記 自文禄五年壬七月十三日至八月二日(一巻、縦二九・二cm)
 2、有馬湯治記 慶長十九年二月十一日〜十二月二十八日(横帳、縦一三・二cm横四〇cm、二十三丁)
 3、大仏供養記 慶長十九年五月二十日〜六月十五日(横帳、縦一八cm横五三・四cm、七丁)
 一連番号を附した木箱入り史料については、第九九函・第一〇〇函の二箱の史料を撮影した。この両箱には第七十四代座主満済に関するものが多く、応永三年九月五日満済戒牒、応永十六年三月二十三日後小松天皇宣旨及び口宣案(任大僧正)、法身院准后入滅記などが含まれている。(酒井信彦・高沢実・福井厚夫)


『東京大学史料編纂所報』第8号p.93